【雑記】わずか5年強で消滅した奇抜な名前の種別「K特急」【京阪電鉄】
こんにちは、N.M.鉄道記のNの方、のすけと申します。今後ともよろしくお願いいたします。
いつもと雰囲気違うけど気にしないでね。
はじめに
京阪電鉄には現在 快速特急洛楽、特急、ライナー、通勤快急、快速急行、深夜急行、急行、通勤準急、準急、区間急行、普通 の11種類がある。多いよ
うち、中之島線開業以前から存在していた種別は特急、急行、準急、区間急行、普通。そしてこれらにK特急が入る。この種別は2003年秋のダイヤ改正に登場。2008年10月のダイヤ改正で快速特急*1へと名前を変えるが、その快速特急も2011年秋のダイヤ改正でわずか3年という期間で消滅した。
今回スポットライトを当てるのは、わずか5年とちょっとで姿を消したこの「K特急」である。
「京阪特急」について
もともと「京阪特急」の停車駅は1993年2月のダイヤ改正まで、
(~1993年1月末)
となっていた。
しかし、長く続いていたこの停車駅も1993年2月のダイヤ改正で京橋・七条ノンストップ運転が破られる(これ以降2016年3月改正の「洛楽」登場までの23年間、京橋・七条ノンストップ運転の定期運転は行われない)。
(1993年2月~1997年3月中旬)
理由としては、競合路線であるJR西日本が新快速でとんでもなく速いダイヤを組み、圧倒的な差をつけてきたことなどが挙げられる。速さより利便性を取る方針に転換した。*2
利便性重視の方針に変えた京阪電車は、更なる混雑の緩和を目指すために、9000系を投入。同時に、平日朝の淀屋橋方面に限り、枚方市駅にも停車させることを決める。
(1997年3月中旬~2000年6月末)
出町柳ー三条-四条ー七条ー中書島(平日朝の淀屋橋方面のみ停車)ー枚方市(平日朝の淀屋橋方面のみ停車)ー京橋-天満橋-北浜-淀屋橋
恐らく支線(交野線)との連絡を円滑に行うために停車させたのではないかと思う。たぶん急行激混みしてただろうし・・・
この時代の9000系には押し屋がいた(「9000系 押し屋」でggったら出てくる)。画像を見ると分かるが、とんでもない混み具合である。見るたび思うけどマジでえげつないな・・・
また、この頃に8000系に2階建て車両が増結され始めるようになる(旧8000系には1995年末に連結を始めている)。~1998年4月までに投入が完了。
2000年7月改正では近鉄電車との接続、緩急接続や支線(宇治線)との連絡のために一部の駅に終日停車。
(2000年7月~2003年9月上旬)
出町柳ー三条-四条ー七条ー丹波橋ー中書島(終日停車)ー枚方市(平日朝の淀屋橋方面のみ停車)ー京橋-天満橋-北浜-淀屋橋
(以下”停車駅Aタイプ”とする)
この改正で、一部運用にロングシート車両が定期列車に設定された。過去にも車端部がロングシートの車両が運用に入ることはあったが、車両全部がロングシートの車両の特急の定期設定は初めてである。ちなみに当時8連が存在した2200系も特急で走ることがあった。
また丹波橋に停車することで、特急停車駅から香里園などの急行停車駅までの時間が短縮される効果もこの改正で発生した。
ちなみにこの停車駅設定の列車が今回の記事の主役となるK特急の前身である。
2003年9月改正では、今まで一部停車になっていた枚方市が終日停車に、樟葉が終日停車駅に追加される。2019年3月現在もこの停車駅である。
(2003年9月上旬~)
この停車駅に設定すると、本来京橋・七条ノンストップ時代の淀屋橋-三条間を44分で結んでいたのが、51分まで延びてしまう。昼間ならまだしも混雑時だとちょっと困るので、前述の”停車駅Aタイプ”の停車駅をそのまま維持して設定されたのが「K特急」である。
K特急の概要
K特急の停車駅は以下の通りである。
平日朝の通勤特急的役割だったK特急おりひめの停車駅は以下の通り。
主な使用車両は本線K特急が8000系(旧3000系)、9000系、7200系、6000系。おりひめが1900系、2600系。
通勤時間帯及び夜に走るこの種別は、利用者にとってはかなり助かる物だった。オレモ京橋駅の発車メロディに「朝靄の京橋で乗り換え」、出町柳駅に「出町柳から」がK特急および快速特急に使用されることから、単なる種別の進化としてだけでなく、公式もかなり激推ししていた様子。めっちゃ消えるの早かったけど
ちなみに新塗装は2008年6月末から運用開始を始めたので、中之島線開業までの4ヶ月半限定で”新塗装のK特急”が見れた。写真撮っとけばよかったな・・・おりひめのK特急幕も(一部車両のみ)見ることができた(というものの停車駅は特急と全く一緒なので特急幕なことも多かった)。
2008年10月改正でK特急は快速特急に生まれ変わることになるが、その話は今後また別記事で。
この種別が消滅した理由
僕が思う理由は以下。
・種別の増加によって混雑の緩和がより強まる可能性が出た(①)
・種別の増加に伴う種別色の不足(②)
まず①に関して。あまりにも種別の数が多く、もしK特急が存在していた場合、朝の淀屋橋方面にはK特急・特急・通勤快急・通勤準急・区間急行・普通もの数が存在することになる。K特急の存在意義は「特急に固まりがちになっていた客をK特急・特急の2つでさばく」というものだったが、通勤快急の追加により役割がそのまま吸い取られていったためではないか。と推測。
②は、元々K特急、特急、急行、準急、区間急行、普通だった種別に快速急行の紫が追加されると、他に選べる色が限られてくる(茶色とか黄色とか。黄色は快速として一応存在はしていたが)ため。と推測する。
あくまで僕の予想に過ぎないが、①はよく鉄オタたちの中でも出る理由だと思う。違ったらごめんね
ちなみに名前の由来は「京都-大阪」のKらしい。
さいごに
もう中之島線開業から10年半も経っていることにこの記事を書いている途中に気付いた。京阪電鉄にとっても一種の転機となったダイヤ改正だと個人的に思っている。2008年10月19日は僕にとってはXデーである。
現在はプレミアムカー連結やライナー運用開始など、25年前とはだいぶ方向性が変わっていった京阪特急だが、”上品な車両”というスタンスは今も昔も変わっていない。みんなも京都から大阪に行くときは、JRを使って速く移動するのではなく、優雅に京阪電車で移動するのもまた一興ではないだろうか。
おわりだよ~
のすけ
≪編集:のすけ≫
サムネ用。Wikipediaのやつですが、問題あれば消します